![]() 2007年NPO法人スノードロップ設立。共同墓や永代供養墓の普及活動、お寺との交流の機会を紹介する活動などを行っている。また、檀家に属さない人などの葬儀に宗教者(住職、宮司など)を紹介する「ハートフルライフ」の代表も務める。 NPO法人スノードロップ ホームページ![]() 「もともとは、グループサウンズが好きだったんですね。特に、タイガースが好きで沢田研二(ジュリー)の大ファンで(笑)。当時、タイガースが通っていた美容院でぜひ働きたいと思って、美容師を志しました。一刻も早く上京したいと思い、高3の時に通信教育で美容の勉強を始めて、卒業後すぐに横浜のサロンに勤めました」
―その後、東京のヘアサロンに転職。そこで、結婚相手となる男性と出会います。
「彼は、全国各地の講習会でカットの技術指導を行うようないわゆるカリスマ美容師。結婚後、2人で独立して、都内に店舗を構えたんです。そして2人の娘に恵まれました」 ―美容院には朝から行列ができ、セレブが通うほどの大繁盛。仕事も家庭も充実していたある日、事件が起こります。「夫が脳梗塞で倒れたんです。私が28歳のときで、夫はまだ37歳。病院では原因はストレスではないかと言われました。夫は腕の良い美容師でしたが、はさみを握るどころか、立てない、話せないという状況になってしまって…。仕方なく、美容室を売却しました。下の娘も生まれていたので、とにかく働かなければと思いました。 ![]() 「そして、テイクアウトのお寿司屋さんを始めました。スーパーの中に入っているようなチェーン店です。夫を社会復帰できるようにしなければという思いがあり、少しずつでもお店を手伝ってもらいました。お寿司を握ることがリハビリの一助になればという思いもあって…」 ―持ち前の頑張りでイチから寿司屋を軌道に乗せた布川さん。しかし、もう頑張れないと思ったことも毎日のようにあったそう。「まだ若く、これからという時だったので『なぜ自分だけこんな目に?』という思いがありました。経済的にもどん底で、幼い娘を抱えて途方に暮れることも…。そんな時に『乗り越えられないような試練は与えられない』、『誰もが目的があって生まれてきているのだから、自分の人生から逃げてはいけない』という言葉と出会い、支えられました。 ![]() 「夫婦で同じ職場にいては何かあった時に共倒れになると思い、食品メーカーの営業に転じました。31、2歳だったとおもいます。パートから始めたのですが、物足りなくなって(笑)別の食品メーカーで初の女性営業職になりました。そして、さらに外資系の飲料メーカーの営業へと転職。営業としてはトータルで10年ぐらいのキャリアを積みました。一番長かったのは外資系の飲料メーカーですね。成果に応じてお給料が上がるうえ、福利厚生が充実しており、働きがいがありました」 「次に選んだ仕事がたまたま石材店でした。霊園などを見に来られた方に墓石の説明をして買っていただくお仕事です。それが葬儀業界とかかわりを持ったきっかけでした。仏教の宗派のこと、お寺さんやお坊さんのこと…多くのことを学びました。
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